市谷亀岡八幡宮
市谷亀岡八幡宮の御祭神
誉田別命【ほんだわけのみこと】(第十五代應神天皇)
気長足姫尊【おきながのたらしひめのみこと】(神功皇后・・應神天皇の母君)
與登比売神【よとひめのかみ】(應神天皇の姫神)
市谷亀岡八幡宮の御由緒
天応元年(781年)に、時の朝廷より菩薩号をたまわり、八幡大菩薩になりました。祭神が、応神天皇であるところから、皇室の祖神としても崇敬されるようになって行きます。文明11年(1479年)に、室町時代の知将、太田道灌が関東平野の要として江戸城を築き、市谷御門内に鶴岡八幡の分霊を江戸城西方の守護神として勧請し、これを鶴に対して、亀岡八幡宮と称しました。
この由緒ある亀岡八幡宮も、天正年間に戦火で破壊され、荒地と化してしまいました。その後、三代将軍家光から莫大な援助があり、元禄15年、将軍綱吉の母桂昌院から黄金が寄進され、三基の神輿が完成するとともに、社のにぎわいも、ますます盛大になって行きました。
江戸時代、亀岡八幡宮の祭礼のにぎわいは目覚ましく、境内には茶屋、芝居小屋、相撲茶屋、仲見世、露店が軒をつらねて並び、山の手地区の伊達をつくしたといわれています。昭和20年5月25日、空襲によって全焼し神木も焼け落ちてしまいましたが、その後、昭和37年に再建され、現在の御社殿に至ります。
江戸城の西の守護として500年を超える歴史がある市谷亀岡八幡宮。都会にありながらも、自然と静寂に包まれた空間は憩いの場です。
市谷亀岡八幡宮の結婚式
挙式は1日1式のみ。結婚式も重要な神事と捉え極力儀式の省略をせず、1時間以上の時間をかけて執り行います。三管による雅楽の生演奏や、花嫁行列が挙式に華を添え、美しい日本の伝統を感じることができます。また、ご要望に応じ巫女による「浦安の舞」もお式に彩りを添えます。